ミュンヘン滞在期<2>パピルスかipadか

ドイツ博物館でパピルスを発見

ドイツ博物館を訪れる

ドイツ博物館は、科学技術の歴史に特化した展示をしている地上7階建ての博物館です。一日ですべて見て回るのは不可能に近いくらい広い博物館なのですが、日本語の案内表を手に、興味のあるトピックを選んで見て回りました。通りすがりのあまり関心のなかった分野の展示を見ても感動するくらい見せ方が巧く、特に鉄道や航空機に使われるエンジンモーターの歴史などは、単純に部品の数が増え、精密化していく様子が素人目にも良くわかりました。最初に理論を考えた人がいて、サンプルを作った人がいて、実物を作った人がいて、さらにその実物に手を加えて… この繰り返しで、自分たちが飛行機に乗って日本から遥々ドイツまで飛んでこれたことを実感できるものでした。館内には、先生に引率された学生さんたちもいて、課外活動の場としてとても良く機能していることがわかりました。○○学入門という講義であれば、工学や科学のすべての最初の授業がここでできるのではないかと思えるほどでした。

これがパピルスか!

もと文系の私にとって、一番感動した展示は、印刷技術のコーナーでした。活版印刷や銅板による挿絵の版画を作る機械が並び、何人もの職人が機械を操作し、水を汲み、排水し、本を作っていた様子が分かるものでした。日本の和紙の展示もあり、和紙を通して降り注ぐ柔らかな太陽光に和んでいると、その横に、パピルスの展示があることに気づきました。数千年前のギリシャ時代の哲学者書いた古典が今読めるのも、パピルスのおかげ。哲学徒であったかつての自分になった気分で、パピルスに向き合います。「ほんとに良くこんなごわごわした書きにくそうなものに書こうと思ったなあ。それが良く残ったものだなあ。」色々感じる事はありましたが、主な感想はこの二点に集約されます。

デジタルはいかに継承されるのか

今この原稿を書いている私はといえば、パソコンに向かい、ちょっとした文章のレイアウトですら自分でデザインしなければ気が済まず、文字のフォントの表示具合を確認し、納得したら、ようやく原稿作成に取りかかれるというパピルス時代とは程遠いスタイルで文章を書いています。「書き手が書きやすく、読み手が読みやすいスタイルの媒体によって書かれたもの」が、その後長く「残る」という保証はどこにもないのに、です。パピルスで書かれた物は、その後、素材を変え、印刷技術を変えながらも、同じ紙という媒体によって、2000年の時を超えて残りました。編纂者や印刷工や批評家や師匠や弟子といったような、この文章を残したいと思った人々が世代を超えて存在し続けた結果でもあるのでしょう。

ここへきてこの電子化時代。すべての紙に書かれた文章は電子化され、書き手も読み手もデジタル機器によって何かを「読む」ことになりそうな転換期です。誰でも・いつでも・どこでも書いたものを公開し、共有し、読める時代には、誰でも・いつでも・どこでも書かれたものを批評でき、「削除」できることでしょう。民主主義は衆愚政治と揶揄されることが時にありますが、パピルスの展示を前に、書物の電子化による文章の共有化は、英知の継承につながるのかどうか、考えてしまいました。

ちょうどこの時期、ミュンヘンでも、アメリカのApple社によるipadという複合機器が発売されました。音楽を聴いたり、映像を見たり、そして新聞を読んだり、電子書籍を購入して読んだりもできるそうです。文字が書かれるために編まれたパピルスの素朴さとはまさに正反対の製品です。

書かれたものが読み手にどう判断され、その後どれくらい継承されて行くのか、という問題には、読み手や書き手にどういう媒体が選択されるか、という問題を考える前に、いくつかの問題の答えを探す必要がある気がします。書き手を支える側の文化の問題です。まずは、人類にとって本質的だと思う問題意識を共有する集団によって、いかに語り継がれるか。研究者の団体や歌壇や文壇や画壇がそうであるように、時に集団の存続意義なども話し合われたりするでしょう。また、議論や批評の過程は、専門の編集者や技術師によって出版されるのか、電子的にインターネットで即時公開されるのか。さらに、議論の展開をきちんと追っている批評家が存在するのか、しないのか。最後に、これらのコミュニケーションの記録媒体が、いわばパピルス系なのか、ipad系なのか。

書かれたもの、話されたものを残したいと願い、技術や知識を駆使して「残して」くれる専門家が介在しなければ、同じ問題意識で時代を通して語れる語り手も育たなくなりはしないか、パピルス系からipad系への転換期に、そんな心配をしている人はきっと私だけではないと思います。

例えば孤独な写真家がいたとして

例えば、かつていたはずの現像技師と批評家と師匠も弟子もいなくなってしまった写真家がいたとしましょう。大衆に認められなければ生きて行けないとすれば、この人、どれだけ孤独でしょう。本当は、この写真家が写真を撮る欲求は、大衆に認められたいということではなく、かつて自分の回りにいたはずの現像技師や批評家や師匠や弟子に「何か言って欲しい」ということだったとしたら。彼らの言葉のやり取りの中に革新的技術者がよかれと思って作った道具によって大衆が入り込み、新しい道具の使用に長けた人々の発言力が増し、結果として、写真か本人が本当に「何か言って欲しい」人々の声が活字に残らなくなってしまったたとしたら。果たしてこの写真家の写真は時を超えて「残る」でしょうか。

一方で、どの流派にも属さずに活躍し、没後数百年も評価され続けた画家だっているわけです。書き手も弘法筆を選ばずで、例え孤独でも真摯に書く事に専念すれば良いという考えもあります。残る時は残るし、残らない時は残らない、それがすべて革新的技術者の責任とは言い過ぎとの見方もあるでしょう。

ただそれにしても、今は電子化技術者が先走り過ぎていて、編集者や批評家や書き手の集団の側が、取り残されている気がしてしまいます。少しでも良いものを長く残す社会を目指すのであれば、周辺の専門職業や文化を継承するために、社会を整備する努力を皆でできればと願ってしまいます。

技術者に期待する事は、書籍媒体の技術を革新するのであれば、その周辺にあるはずの文化も形を変えて存続できるように気を配ってほしいところですが、書き手の側も、それを支える側も、これに期待しすぎず、これまで機能していた文化を別の形で継承できる手段を考える時が来ているのかもしれません。

元哲学徒の学術広報支援事業主として、何か新しいこと考えないとなあと、ミュンヘン博物館で改めて思ったのでした。