2010年5月17日から6月3日まで、約3週間弱のあいだ、ドイツのミュンヘンに滞在しました。途中、MIDの手話学習システムの展示のため、マルタ島で開かれていた国際会議にも出席したのですが、その2日以外は、家族の仕事の都合でミュンヘンで過ごすことになりました。ミュンヘンには、MIDの英語翻訳スタッフが暮らしているため、彼女のガイドのもと、様々な場所を訪れることができました。ちなみに彼女のご主人は、私の10年来の友人でもある心理学者で、二人のきめ細やかなサポートは本当に心強いのでした。
さて、そのミュンヘン、どんな街かといいますと、ドイツ連邦共和国の中でも第3の人口数を誇る、バイエルン州の州都であります。ドイツは16の州からなり、それぞれ地方分権の歴史が長いのですが、特にミュンヘンの人々は、自分たちがバイエルン州の住民であり、州を経済的にも文化的にも支えていることに高いプライドをもって暮らしています。ドイツ人の住みたい都市ランキングにも毎年最上位にランクインするそうです。スタッフからそのことを初めて聞いたときには、「ドイツの首都はベルリンで、ミュンヘンはビールの関係で札幌の姉妹都市…」という知識しか持ち合わせていない頭にはピンとこなかったのですが、各地を見て歩くにつれ、だんだんミュンヘンの人々の誇り高い暮らしぶりが見えてくるようになりました。
ミュンヘンの中心部にある巨大な宮廷跡地に建てられたレジテンツ博物館と宝物庫(外部のページにリンクしています)。バイエルン州の王家が住んでいたというこの場所に、日本の美術館で開かれる財宝展をイメージして訪れてみて驚いたのは、当時の宝物庫をもとあった場所を展示用に改装して、そっくりそのまま展示してあったことです。10世紀からの古い財宝も目立った欠けひとつない抜群の保管状態でそこに「ある」ことにまずは目を見張りました。宝物庫と居住スペースだった宮廷からなる建物の総敷地面積は広大で、一部屋ずつ黒い背広姿の係員が在中しているのですが、おそらくその係の人々は州の担当者で、この宝物の数々はいわば個人のコレクション… だとすると、追放された王家とはいえ、持ち主は私財を邸宅ごと公開されていることをどう思っているのだろう、という疑問がわきます。
友人にそのことを話すと、「ドイツは共和国ですから」という返事が返ってきました。辞書によると共和国とは君主のいない国とのことで、そうすると、日本に似たような風土があっても不自然ではないはず。でも京都の二条城や御所だって毎日一般公開されているわけではなく。公開スケジュールは、京都ではなく、政府機関である宮内庁によって管理されていたりして。
日本円にして1000円そこそこの入場料で、係員を配置して、建物を維持しながら、長い間ここを公開し続けているバイエルン州の心意気に思いを馳せてしまいます。「かつての宮廷の財産は今ではすっかり州民のもの、皆さん気軽にお立寄を」という声が聞こえてきそうな場所でした。
次に驚かされた場所と言えば、バイエルン州立図書館(ウィキペディアにリンク)です。ミュンヘンの建物は、役所や公共の建物はどれも歴史的建造物で、彫刻が施された重厚な建物であることが多く、バイエルン州立図書館も例外ではありません。入り口の木の扉を開けると、パルテノン神殿風の大きな柱と階段が高々と階上に続いていたため、最初に子連れで訪れたときは尻込みしてしまう雰囲気でした。エレベーターで階上にいき、入館する人々の持ち物をチェックしている係員に尋ねると、案の定、子連れでは入れないと言われたため、後日一人で出直すことに。
探していた書物は、日本で『身振り語の心理』として邦訳が出版されている、1800年代にヴントという哲学者によって書かれた古書。ドイツ語は辞書なしではほとんど読めないのですが、この本に引用されている、ライプニッツというこれまた100年ほどさかのぼってラテン語で書かれた本について、正式な文献名が知りたかったのです。かつては哲学・倫理学を勉強していたにもかかわらず、恥ずかしながらラテン語はいよいよまったく読めないのですが、ヴントの本によると、中世の修道士たちの身振り一覧が収められているとのことで、興味がわき、イラスト入りであることを期待して探していました。
仕切り直して、州立図書館の案内カウンターに行くと、女性司書の方が英語で親切に説明して下さいました。まず、バイエルン州立図書館のホームページに行って、それから、タイトルを検索して… と、二台あるパソコン画面のひとつをこちらに向けて説明が進みます。「お探しの本は、残念だけど、この図書館にはありませんね。いつまで滞在のご予定ですか?」あまり帰国まで時間がないことを告げると、「あいにく明々後日は休館日ですし、それでは、コピーを取り寄せても間に合いませんね…。では、ここの哲学図書室に行ってみてはいかがですか?通りを挟んで角を曲がってすぐですよ。だれでも入れますから。」とのこと。地図を見ながらさらに説明が進みます。
「州立図書館周辺は、大学が点在していて、学生街として栄えていて、外国人にも人気のある居住区なのよ」その日は一緒でなかったスタッフの言葉を思い出し、州立図書館から数百メートル先の哲学図書室とやらを探しに行ってみることにしました。大学だったら迷っても英語が通じるかもしれないというほのかな期待を胸に。
通りを挟んだ道沿いにある建物のうち、幾つかの重厚な扉を開け、建物の中に入っては、司書に手渡された紙を見せながら、哲学図書室を尋ね歩くと、誰も私の所属などを確認することなく親切に案内して下さる。大学の案内役の係の女性は、わざわざ英語が話せる職員らしき男性を呼び止め、私を図書室まで連れて行ってと頼んで下さる。建物の中にはもちろん研究室や講義室が並んでいて、多くの学生とすれ違う。私自身はすっかり侵入者の気分なのだけれど、人々は私を旅行者と知って知らずか、いたって親切。「ドイツの大学の学費はかつては無料で、今はかかったとしても、一学期あたり日本円で5万円程度」、というスタッフの言葉を再び思い出す。エレベータで二階に上がり突き当たりの扉をそっと開けると、本当にどこにでもありそうな小さな図書室がある。学生たちはみな、書棚の脇に置かれた机につっぷして本を読んでいる。係の学生に小声で声をかけると、ドイツ語から英語を思い出しながら「ここには二つのビブリオテーク(ドイツ語の図書館)、じゃなかった、ライブラリー(英語の図書館)があって、AからEまではこの部屋にあるんですが、D以降の記号の本は、廊下の向こう側にあるんです」と教えてくれる。
ヴントの本までの、ゴールは近そう。「どうもありがとう」とお礼を行って、反対側の図書室に向かう。今度は男性の学生係員が扉近くで勉強している。「この本を探しているのですが、入ってもいいですか?」と尋ねると、学生さんは、書棚を指差して、どうぞご自由にという素振りを見せる。記号を頼りにドイツ語でタイトルを探すと、片手の手のひらでぎりぎり持てるほどの厚い、そして古びた本を二冊発見する。ドイツ語の読み書き会話がほとんどできない状態でドイツ語の本を探すという無謀な試みを開始してから、この本にたどり着くまで丸二日。求めていた本の背表紙を見てなんだか感動して涙腺がゆるむ。その二冊をゆっくりと机まで運び、挿絵を頼りに何度も何度も同じ章のページをめくること30分あまり。ようやく探していた引用文献の名前を確認する。
ところが、このページだけでもコピーしないと、と思ってからが大変。先ほどの係の学生さんに尋ねると、ここで初めて身分証明書の提示を求められる。室外に本を持ち出すのだから当たり前なのだけど、パスポートはホテルに置いてきてしまっている。他の学生も、「何でも良いのよ、身分を示せる物を持っていないの?」と英語で声をかけてくれる。「名前が書かれてあるものを」と言われて、財布を見るとクレジットカードが二枚。後でよくよく考えると、本当に冷や汗をかくのですが、ここで、慌てていた私はなんと、学生に預金残額が大きい方のクレジットカードを手渡してしまう。彼は一瞥して、「これでいいよ」と言い、コピー機の場所を教えてくれる。急いでコピーを取りに向かうが、肝心のコピーカードの買い方もわからない。クレジットカードは気になる。そこで、手に持っていた携帯電話のカメラで該当ページの前後の写真を撮って、すぐに図書室に戻る。クレジットカードは無事に学生の手元にあり、返してもらうことができた。彼はきっと信頼できる人と期待して、図書室を後にする。
探し求めていた本のうちの一冊に出会うまでの顛末はこんな感じでしたが、ミュンヘン工科大学に勤める先生に伺った話によると、バイエルン州立図書館から近隣の大学図書室はすべてインターネットで情報検索でき、いずれもどんな雑誌であってもパソコンで依頼を送れば、コピーや現物を取り寄せられるとのこと。大学でアカウントを貸してもらって頼めば、さらに簡単に本に出会うことができたのかもしれません。でも、実際にドイツ語ができない日本人である私にも、バイエルン州立図書館から近くの大学図書室で本を発見するまで数時間足らずで本に辿り着くことができました。特に自分が探し求めていたのが古書だったためか、この「辿り着く」までの過程がまたとても楽しく、充実した時間でした。あの本の隣にはこんな種類の本が並んでいて、きっと何十年も、もしかしたら何百年もあの棚のあの場所にあったんだと思うと、ちょっとした神社仏閣を参拝したかのような、厳かな気分になってしまったのでした。
そして、州立図書館の司書の方や、大学の職員、学生さんたちが本の回りで門番のように暮らしていること。そのことが、バイエルン州の住民の誇りの高さとつながっている気がしました。数日前にホテル近くの古本屋さんで顔なじみになった主人ですら、閉店間際の店内でパソコンに向かい、私の探している本を探してくださったのでした。バイエルン州立図書館では、かつては宮廷の所有物だった貴重なラテン語の写本ですら、公開されているそうです。「本はみんなもの、あなたもいつでも読みに来て良いのよ」街全体がそんなスローガンを掲げているようでした。
探していたもう一冊の本は、結局時間切れで、実際に出会うことができず、インターネットで注文してみたのですが、ドイツでの最初の本との出会いが、8割が街の人の手、残りの2割がインターネットによって案内されながら実現したことを、ちょっぴり誇りに思うのでした。数週間の滞在で、もうすでに「ミュンヘンはいい都市よ」と友達に自慢したくなるような気持ちになっていたので、これが数年住んでしまえば、自分がすっかり誇り高いバイエルン州の住民の一員になっていることは、想像に難くありません。
学生時代に倫理学の文献をたくさん読んでいた頃、”well-organized society(しっかり整備された社会)”という文言をよく目にしました。数年前アメリカの田舎町に住んでいた時に、ホストファミリーの主に、”well-organized society”という言葉を使って、「ここは日本ほど整ってないんだよ、日本はすばらしく整った国だよ」と言われたことがあります。社会の整備の質や度合いで、人々の生活の質が変わることを、その頃の私には実感できなかったものです。何かを願ったときに、インターネットなどの社会のインフラや、人々の手助けによって、そこに「辿り着ける」ことに、どれだけ幸せを感じられるか。その実感や、高い税金を払ってでもこの社会を維持して行こうという思いが、「暮らしやすさ」や「誇り」につながっているように思いました。
あとは、クレジットカードの情報が転記されていないことを願いつつ、でも仮にそうなったとしても、自分の責任であることを今回の戒めにするのでした…
ミュンヘン滞在記<2>に続きます。